水墨画家 中山無窮の かんたんピカソ
ピカソ。ほぼ誰もが聞いたことがあるであろう、メジャーな画家、芸術家。
生まれは、私の行ったことのないスペインの南部、アンダルシア地方、地中海に面した「マラガ」だ。
ピカソは、1881年10月25日の真夜中ころに、大きな白い家で生まれたらしい。
1881年、日本で言えば、明治14年生まれ。明治10年に西郷隆盛を盟主とする西南の役が起こったりしているから、まだ日本は不安定な時代だ。スペインは、詳しくないが、第一次共和政が倒れて、王政復古の時代だ。
先祖は、司祭、芸術家、学校教師、裁判官、小役人、貧乏貴族などなど。
両親は、スペイン人(アンダルシア人)。母は、漆黒の髪で、父は、痩せ型背高の赤毛だそうだ。
父は、当初、食堂の装飾画家で、ハトをよく描いてたらしい。その影響で、ピカソは生涯、ハトを描いていたのかな。その後、父は絵画教師の職を得て、そのため一家で転々とし、バルセロナに辿り着く。
バルセロナはカタルニアの首都、アンダルシアとは文化・言葉がちがう。しかしピカソは、その地の美術学校に、なんと14歳という若年で、なんなく実力で(父の手助けもあって)入ってしまった。この辺から、神童伝説が始まる。
たとえば、この美術学校の入学試験実技科目の古代像、静物、モデル写生、油絵。普通1か月かかかるところ、一日で仕上げ、その早さと技量で、試験官をびっくりさせたとか。
当時から、バルセロナは開かれた都市、パリとの芸術交流も盛んだったようだ。
1900年(明治33年、というと、だいぶ昔のひいお祖父さん時代の感じがするけど)、ピカソは19歳で、バルセロナを飛び出し、はじめて異国であるパリに向かう。パリでは、芸術家たちのホットスポット、モンマルトルを中心に、変化に富んだ交流が始まる。
そして、「青の時代」を迎える。
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