中山無窮の『御金魚』シリーズ:個展開催2022.8/14-8/20 シルクランド画廊 https://www.silkland.co.jp
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ヤッホー、久々の個展です。
2022年8月14日(日)から20日(土)
銀座のシルクランド画廊です。
よろしくお願い申し上げます。
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ヲロチ(大蛇)=「龍」とみれば、「日本書紀」の「神代上」の編の第7段から第8段に出てくる、スサノヲノミコトのヤマタノヲロチ退治 。
天の原を追放され、出雲国のヒノカワに降り立ったスサノオノミコトは、川上で悲しみに泣きむせぶ夫婦と少女(クシイナダヒメ)に出会う。涙の訳を聞けば、毎年、ヤマタノオロチが現れては娘を呑み込んでいく、とのこと。そこでスサノウノミコトは、その少女を娶とることを条件に、ヤマタノオロチを退治する約束をする。酒で満たした桶を8個を用意させ、誘いに乗り8つの頭を突っ込んで酔いしれたヤマタノオロチを、十握(トツカ)の剣でズタズタに斬った。ここでオロチの尻尾を斬ったときに、刃が欠けたので、よく見てみると、中から剣が現れた。これがアマノムラクモノ剣(天叢雲剣、オロチの頭上に常に雲があったから)、のちの草薙剣。
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「龍」が「日本書紀」に出てくるのは、「神代下」の編の第十段、「豊玉姫」の下りです。
山幸彦(ヒコホホデミノミコト)が悩み振り回されていたのは、「釣針紛失問題」(山幸彦が兄・海幸彦から借りた釣針を無くし、代わりの釣針を渡そうとしても、頑なに元の釣針を返せと、言い張る兄)。
その面倒な問題を解決してくれたのは、「海神」(ワタツミ)。
海宮(ワタツミノミヤ)にて、その娘「豊玉姫」を、山幸彦は娶ることになった。
やがて豊玉姫は子を宿した。
山幸彦が陸の元の宮に帰る際、豊玉姫は、出産の際は浜辺に出向くので産屋を作って待っていてくれ、と頼んだ。
出産の時期が来た。豊玉姫は、浜辺に上がり、山幸彦に、出産のシーンは見ないでほしい、とお願いした。
ところが、山幸彦は我慢できなくなって覗き見してしまった。
そこで見たものは、豊玉姫が龍に変身して出産する姿だった。
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「物語性」とは、その出生(起源)から現在までに起こった、過去の出来事を一つ一つ結びつけていった結果、現在の有り様がもっともだ、と人々に思わせる手法、と言える。
龍は、もともとは、川の洪水を引き起こし、人々に生活上の甚大な災害をもたらす、水を操る悪神と思われていた。
だが、逆に、この龍を大事に敬うことによって、水の流れを、人々の生活に役立つようにもたらしてくれたらなら、これは有り難い。
そんなところから、龍を水神としてあがめるようになった。
さらには、仏教が普及すると、この自然の脅威を内包する龍に対し、仏教の守護神としての地位を与えた。
こうした経緯をみると、龍は、自然の脅威を内に秘めた善神と言うべきか。
こんなスケールの大きな龍神を、自分が描くことは可能なのか?
とにかく、挑戦してみることにした。
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ピカソ。ほぼ誰もが聞いたことがあるであろう、メジャーな画家、芸術家。
生まれは、私の行ったことのないスペインの南部、アンダルシア地方、地中海に面した「マラガ」だ。
ピカソは、1881年10月25日の真夜中ころに、大きな白い家で生まれたらしい。
1881年、日本で言えば、明治14年生まれ。明治10年に西郷隆盛を盟主とする西南の役が起こったりしているから、まだ日本は不安定な時代だ。スペインは、詳しくないが、第一次共和政が倒れて、王政復古の時代だ。
先祖は、司祭、芸術家、学校教師、裁判官、小役人、貧乏貴族などなど。
両親は、スペイン人(アンダルシア人)。母は、漆黒の髪で、父は、痩せ型背高の赤毛だそうだ。
父は、当初、食堂の装飾画家で、ハトをよく描いてたらしい。その影響で、ピカソは生涯、ハトを描いていたのかな。その後、父は絵画教師の職を得て、そのため一家で転々とし、バルセロナに辿り着く。
バルセロナはカタルニアの首都、アンダルシアとは文化・言葉がちがう。しかしピカソは、その地の美術学校に、なんと14歳という若年で、なんなく実力で(父の手助けもあって)入ってしまった。この辺から、神童伝説が始まる。
たとえば、この美術学校の入学試験実技科目の古代像、静物、モデル写生、油絵。普通1か月かかかるところ、一日で仕上げ、その早さと技量で、試験官をびっくりさせたとか。
当時から、バルセロナは開かれた都市、パリとの芸術交流も盛んだったようだ。
1900年(明治33年、というと、だいぶ昔のひいお祖父さん時代の感じがするけど)、ピカソは19歳で、バルセロナを飛び出し、はじめて異国であるパリに向かう。パリでは、芸術家たちのホットスポット、モンマルトルを中心に、変化に富んだ交流が始まる。
そして、「青の時代」を迎える。
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